2014年5月1日木曜日

思考停止ということについて・・・昨日の思考実験の続き

さて、昨日の思考実験の結果を一旦まとめておくと、来世があるかないかは決してはっきりと判らないという前提で考えた場合でも、問題になるのは、もしかしたら来世というものが有った場合、その来世において今世の状態よりも悪い状態に陥るということだった。

死について考えるというのは、前向きではなく、否定的な態度であるかのように取り扱われがちであるが、実際は、将来必ず訪れるであろうイベントに対して何の心構えも持ち合わせていないことのほうが限りなく否定的で、よく物事を考えようとしない後ろ向きな考えだということもはっきりしたかもしれない。

そのようなことを考えた場合、物事を前向きに考えて生きようとするのであれば、万が一にでも来世が有った場合のことを考え、そこで今世より悪い状態に落ち込まないように、いまから対策を講じながら生きるということが肝心なのではないのか。

(とまあ、大体このあたりまでが、日ごろ私が思考していることなのだが、この先は、今回このブログを書くにあたって思考実験をした結果の産物になる。)

そして、そういう生き方ができているという実感が得られれば、死に対する不安はなくなるはすである。

ここまでくると、もう、死後の自己実現である。

人生での自己実現を考えた場合、何の努力もせずにただ希望しさえすれば価値のあることが実現すると考えるのは、愚か者の考えであることは誰しも納得するところだと思う。

だから、自己実現を望む人間は願望を抱いたら、その実現に向けて努力するのだが、もう一歩踏み込んで、今世の自己実現の目標の中に、来世の自己実現の目標も組み入れてしまったら、より前向きなスーパーポジティヴな生きかたができるのではないか。

そのように考えるのは、実は合理的な理由がある。

巷にあふれる自己実現本に書かれている成功法則などは、そのほとんどが聖書に書かれている戒めから採ったものがほとんどで、その聖書は今世の生きかたに関する事もさることながら、その本筋においては主に、来世のことに照準を合わせて書かれているのだ。

人生というものを、砂上の楼閣のようなものとして危うい築き方をしたくないのであれば、来世があるものとしてとらえ、来世までも含めた自己実現を目標と考えて生きるのが、最善の策と思うのはそうゆう理由による。


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